
どうもこんにちは、noranekoです!
前章では居酒屋で働いていた時から、今のコンサルまでの遍歴の一部を紹介しました。
もしあなたが今のキャリアに「満足していなくて」も、私がたどってきた変遷が少しでもあなたの力になったら嬉しいです。
さて、今日は就活の話です。
当時、私の出身校である日本大学では、3年生の年度末で合計で110単位ないと卒業見込み証明書が発行されませんでした。
卒業見込みがないと内々定がもらえたとしても内定はもらえませんでした。
残念ながら私は1年で14単位、2年で24単位と3年生になった時点で「大学は5年行こう!」と思い、就活浪人をするつもりでした。
ところが私のそのプランはあっさりと崩れ去ります。
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当時、4つ年上の鎌倉の大地主の娘と交際していたんですが、3年生のクリスマスに、勢い余って「結婚しよう!」と言ってしまったんです。
でも彼女は全然本気にしてくれませんでした。
そりゃ単位もないし就活もしてないし、当然ですよね。
そこで、、、
ノラ「就活するわ!」
と彼女に向かって唐突に宣言しました。
しかし彼女は、
彼女「えっ?急にどうしたの??」
と、ビックリはしていましたけど、「ふ〜ん」って感じでした。
ノラ「こないだクリスマスに結婚するって言ったじゃん!だから就職するわ!」
彼女「あ、そうなの?頑張って!応援するね!!」
ノラ(本気にしてねーなー!見てろよ!)
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彼女に勢いよく就職すると言ったものの、どこに就職するか全く考えていませんでした。
どういう業界に行きたいとか全然ない…どうしよう。
これが就活のスタートでした。
(みんなもそうですよね?ね?)
ただどの業界がいいかな〜、と考えているうちに、ふと思い出したことがあったんです。
それは、「マネー革命」というNHKの番組だったんですが「仕事を楽しそうにやってるな〜!」と、証券会社に対してかっこいいな!と思わせるには十分な番組でした。
そして「よし!証券会社行こ!!!」と決めました。
就活を始めるのが遅かったので、業界を決めたらすぐにエントリーシートを送らないといけません。
まずは大手、外資に片っ端からエントリーシートを送りました!当時は全部手書きですので、すごく時間がかかったのを覚えています。
(バイト終わりに深夜のファミレスで何回書き直したか…。)
渾身のエントリーシートを送り、複数社から内定が出たらどんな基準で選ぼっかな。ってニヤニヤしていました。
さぁ、その結果は、、、!
全滅!
エントリーシートさえ通らない事実に愕然とします。
当時は居酒屋でバイトをしていたので、私はお昼過ぎに起きていました。
寝起きでボーッとしながら電気もつけず、パソコンを起動、そしてエントリーシートの結果を確認していました。
「noraneko様のより一層のご活躍をお祈り申し上げます。」
「またか…」
この繰り返しでした。
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これが思いのほかダメージがでかく、1週間程度就活から離れます。
起きてからバイトに行って、帰ったらすぐ寝るという生活でした。
いや、でも彼女に結婚するって言ったし!
と、なんとか奮起して今度は地方の証券会社にもエントリーを出します。
(手書きなので本当に大変…)
結果、、、1社から面接に呼ばれました!地方のM証券です。
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正直に言えば私は「話すことができたら強いぞ」と思っていました。
横浜の桜木町にある個人経営の居酒屋でバイトしていたのですが、そこの常連さんが大企業のお偉いさんで、いつも「ウチに来なよ!いつでも雇ってあげるよ。」って言われていて、自信もありました。
そして面接でもすごく上手に受け答えできた!と感じました。
これは手応えあるぞ…!
と、内心ほくそ笑んでいたのですが、お祈りされてしまいました。
・・・これには精神的にこたえました。
手応えもあったので、「通過連絡まだかな〜」ぐらいしか思っていなかったんです。
めちゃくちゃ悔しかったです。
それまで自分は何となく「何でもやればできる」と思っていたのですが、その自信が粉々に打ち砕かれました。
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居酒屋で内定はもらったものの、本当に行きたいのは証券会社です。
その後も証券会社にはエントリーし続けました。
ただ9月の上旬にもう一件面接があったのですが、そちらも「お祈り」されてしまいました。ただこの時は「やっぱりそうか」とガッカリもしませんでした。
そして、10月には居酒屋の内定式もあったため、そこでタイムリミットだ、と感じてしぶしぶ就活を辞めました。
ちなみにこの時の経験から私は「やりたいことじゃなく、できることをやろう」と思うようになりました。
ですので、居酒屋で働くことにはなりましたが「どうにかなるでしょ!」と、ようやく気持ちを切り替えることができました。
また、バイト先のマスターに「居酒屋に就職するなら調理師免許ぐらい取っとけ」とおすすめされたので、調理師免許も取得し、居酒屋で働く準備をしていました。
次章で私は実際に居酒屋のキッチンで働き始めます。
最初はその仕事量に圧倒され「これは無理じゃないですかね?💦」と責任者に伝えていました。
ちなみに、1日に14時間労働 & 週5日勤務、最低労働時間は週に70時間でした。
ただ私は、もう絶対に「出来ない子」になりたくなかったんです。
だから本当に必死で考え、努力しました。
「今できること」の努力を。
なんで出来ない子になりたくなかったのか、どうやって「無理」を乗り越えたのか。
その理由もあわせてぜひ次章をお楽しみに〜!
毎週金曜日に新作更新予定です。
ちなみに今の若い人が読んだらドン引きされるような新入社員研修も受けています。
そう、公園で叫ぶやつですね。
今でもやってるんですかね?
その辺りも少し振り返りたいと思います。
あの研修はもう絶対やりたくない(笑)

私が就活した2002年はちょうどITバブルが弾けた後で、就職氷河期世代だったので一年就活浪人するのもありだな〜って思ってたんですよね〜。
結婚して欲しい!


全然本気にしてくれないので、逆に就活に燃えましたね。
あれ?どこに就職しよう?


イメージの中ではすでに、バリバリに仕事ができる証券マンでしたね!

面接…手応えアリッ!


この時も2週間ぐらい落ち込んで、何もできなくなりましたね(笑)
一方、居酒屋の就職試験では
証券会社は本命でしたが、滑り止めとして居酒屋の就職試験も受けていました。 前述した横浜の居酒屋で4年間バイトをしていたため、トントン拍子で面接に最終試験に進みました。 そこの最終面接でこんなことを聞かれました。 「あなたのお父さん、お母さんって誇れる人ですか?」 ノラ「母親は看護師さんだったんですけど、忙しいにも関わらず参観に出てくれたり、早く帰ってきてくれたりしてくれていました。」 面接官「素敵なお母さんですね〜。」 と、自分の家族を認めてくれた気がして、こういう人がいる会社だったらいいな!と思って居酒屋だったらここにしようと決めたんです。最後までねばってみたからこそ…!


最後まで証券会社にアプローチしきったからこそ、すんなりと受け止められたのかな、と思ってます。
もし腐ってたら今はなかった
確かに私は就活で行きたい業界にも行けませんでした。 ギリギリまでねばったにも関わらず結果が得られず、すごく悔しい思いもしましたし、無力感にもさいなまれました。 ただここで「自分は無力だ」と受け入れることができました。 だからこそ「やれることをやろう!」と居酒屋で精一杯働くことができ、それがさらに次の仕事へと(かなり後にはなりますが)つながったんです。 もし今あなたが「ここは自分のいるべき場所じゃない!」とか、「自分なんてどうせ…。」と思ってしまっていても、それは悪いことではありません。 ただ、もしほんの少しでも「諦めたくない」と思っているなら、その思いはぜひ大切にしてください。 「努力すれば叶う」とは言いません。 だって私は証券会社には行けませんでしたし。ただ、「努力しないと」現状からは変われません。 その「努力」とは、「その場をなんとかする努力」でも、「その場から逃げ出す努力」でも構いません。 ただ、最もおすすめなのは、「新しいことへの努力」ではなく、「今できることへの努力」です。
「今できることへの努力」が将来の成長に大きく影響します。
なぜなら、仕事の枠を大きく広げることができるからです。
例えば、会社の仕事が「できるようになった」ら、今度はその仕事を「もっと短時間で」「もっと品質高く」「システムを導入して自動で」できないかを考え実践します。
すると、その仕事を見てくれた人が「ワンランク上」の仕事をくれるようになります。その仕事を必死にこなすことで大きく成長できるんです。
だから、「今できることへの努力」がすごく大切なんです。

労働基準法無視、36協定って何?という、古き良き時代でしたね(笑)